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vol.250【難経第五十五難】氣滞と氣逆の違いとは?〜“氣が止まる”と“氣が昇る”の診断〜
氣が流れなければ、病となる。 だが、氣の異常には「止まる(滞)」と「昇る(逆)」がある。 『難経』第五十五難は、 氣滞と氣逆という二大異常の違いと、それぞれの見極め方 について説いている。 【1. 氣滞とは、氣が流れずに滞ること】 脹る、張る、重い、詰まる感じ...

- 鍼仙人 - 高山 昌大
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vol.249【難経第五十四難】怒りと氣の関係とは?〜七情が氣を動かす仕組み〜
「怒れば氣上し、喜べば氣緩む」 これは東洋医学の基本とも言える、 感情と氣の密接な関係性 を表す言葉。 『難経』第五十四難では、 “七情”が氣にどのような影響を及ぼすか が具体的に語られている。 感情は単なる心の動きではない。 氣の運行を変化させる、強力なエネルギー源...

- 鍼仙人 - 高山 昌大
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vol.247【難経第五十二難】臓腑の氣の偏りとは?〜五臓の虚実を診る〜
氣が満ちすぎれば、実。 氣が足りなければ、虚。 これは単なる量の話ではない。 『難経』第五十二難は、 五臓それぞれの“氣の偏り”をどう診断し、どう整えるか を示した重要な篇だ。 【1. 虚とは、氣が不足している状態】 氣の虚は、以下のように現れる:...

- 鍼仙人 - 高山 昌大
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vol.245【難経第五十難】表証と裏証の見分け方とは?〜氣の深さで読む疾の所在〜
同じ頭痛でも、皮膚のすぐ下で起きているものもあれば、 内臓の深部に根をもつものもある。 東洋医学ではそれを「表証」「裏証」と分け、 “病の深さ”によって治療の方向を変える。 『難経』第五十難は、この 表裏の判断を氣の層でどう読み取るか を明確に示している。 【1....

- 鍼仙人 - 高山 昌大
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vol.244【難経第四十九難】なぜ左手と右手で診るのか?〜陰陽と臓腑配当の秘密〜
左手は心を、右手は肺を。 鍼灸師なら誰もが知る“左右の脈の違い”。 だが、その根拠はどこにあるのだろうか? 『難経』第四十九難では、脈診における「左右の手の配当」について明確に述べられている。 それは単なる慣習ではなく、 陰陽と臓腑の哲学に基づいた診断体系 なのだ。 【1....

- 鍼仙人 - 高山 昌大
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vol.243【難経第四十八難】脈と氣の違いとは?〜脈状と氣状の見分け方〜
脈を診るとき、我々が見ているのは「血」か、「氣」か。 『難経』第四十八難では、“脈状”と“氣状”という二つの概念を対比しながら、 その本質的な違いに切り込んでいる。 つまり、 同じ脈の打ち方であっても、それが「氣の乱れ」か「血の滞り」かを見極めなければならない...

- 鍼仙人 - 高山 昌大
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vol.239【難経第四十四難】氣はどこに集まり、どう発散するか?〜中焦と三焦の氣流〜
氣は、ただ流れているのではない。 “集まり”、そして“発される”場所がある。 『難経』第四十四難では、氣の中枢的な集積場である「中焦」と、 全身への分布・排出の経路を担う「三焦」について言及されている。 氣の発動点と拡散経路を理解することは、...

- 鍼仙人 - 高山 昌大
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vol.236【難経第四十一難】氣が左右に乱れるとき〜側偏と氣の方向性〜
東洋医学では、氣の乱れは“上”や“下”だけではなく、“左右”にも現れる。 『難経』第四十一難では、「側偏(そくへん)」と呼ばれる現象、 つまり 身体の片側に偏った症状や氣の乱れ について論じている。 この“横の偏り”こそ、現代臨床においても極めて重要な観点である。 【1....

- 鍼仙人 - 高山 昌大
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vol.235【難経第四十難】氣の上下とは何か?〜陰陽の呼応と昇降出入〜
氣とは、ただ巡るだけではない。 上下・出入という“方向性”をもって働く力 である。 『難経』第四十難では、氣の動きが「昇・降・出・入」の四つに分かれること、 そしてその調和が生命を保つカギであることを説いている。 まさに、氣は“立体的に働くエネルギー”。...

- 鍼仙人 - 高山 昌大
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vol.234【難経第三十九難】氣はどこから来て、どこへ行く?〜五臓における氣の循環図〜
氣は、ただ存在するのではない。 絶えず「巡っている」ものだ。 『難経』第三十九難では、五臓六腑における氣の生成・運行・分布のルートを描き出している。 これはまさに、“氣の地図”。 それを理解することで、 なぜここに症状が出るのか?なぜその順で伝播するのか? が、明確になる。...

- 鍼仙人 - 高山 昌大
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vol.233【難経第三十八難】氣が多すぎるとは?〜氣実・氣鬱・氣爆の理解〜
氣は、生を支える源でありながら、ときに身体を苦しめる存在にもなる。 『難経』第三十八難では、“氣が多すぎる”状態——つまり氣の過剰・偏在・爆発的変化について語られている。 氣が「足りない」だけでなく「多すぎる」ことで起きる不調とは何か?...

- 鍼仙人 - 高山 昌大
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vol.232【難経第三十七難】氣が止まるとは何か?〜氣滞と氣絶のちがい〜
氣は、流れてこそ生命である。 『難経』第三十七難は、「氣が止まるとはどういうことか?」という根本的な問いに対し、 “氣滞”と“氣絶”という2つの概念を通じて、その違いと臨床的判断を提示している。 ここで問われているのは単なる症状分類ではない。...

- 鍼仙人 - 高山 昌大
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vol.231【難経第三十六難】病がどこから始まるか?〜上からか、下からか〜
風邪をひいたとき、咳から始まる人もいれば、下痢や冷えから始まる人もいる。 それは偶然ではない。 『難経』第三十六難は、「病が上から発するのか、下からなのか」という問いを提示する。 それは単なる部位の問題ではない。 氣の流れと臓腑の機能配置から読み解く、“病の発端の哲学”...

- 鍼仙人 - 高山 昌大
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vol.230【難経第三十五難】陰陽に応じた鍼の深さとは?〜刺入と氣の層構造〜
“どこまで刺すべきか?” この問いは、鍼を扱う者なら誰しも一度は直面する。 『難経』第三十五難では、この問いに対して明快な基準を示している。 それが「陰は深く、陽は浅く」という刺入の原則である。 だがこれは単なるテクニックの話ではない。...

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vol.229【難経第三十四難】病の発生における陰陽の分岐〜陽病・陰病の境界線〜
病とは、氣が偏ることである。 その偏りが「陽」に傾いたとき、人は熱をもち、上へ、外へと氣が浮き始める。 逆に「陰」へ傾けば、冷え、沈み、内側へと氣が籠っていく。 『難経』第三十四難では、病を陰陽に分ける基準を明確に提示している。 それは単なる表面症状の話ではなく、...

- 鍼仙人 - 高山 昌大
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vol.228【難経第三十三難】氣の逆流とは何か?〜上下・内外の氣の迷い〜
氣は、いつも正しく流れているとは限らない。 『難経』第三十三難は、「氣逆」——つまり氣が本来あるべき方向とは逆に流れる現象を扱っている。 上へ昇るべき陽氣が下に沈み、 下に降りるべき陰氣が逆に頭へと昇る。 また、外へ出るべき氣が内に籠り、内で整うべき氣が外に漏れる。...

- 鍼仙人 - 高山 昌大
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vol.227【難経第三十二難】診断の四つの道〜望聞問切の意味と重み〜
診断とは、どう始まるのか。 患者が一言も語らずとも、術者の目と耳と手は、すでに多くを語りかけられている。 『難経』第三十二難において語られるのは、東洋医学の診断の基本「四診」—— 望(視る)・聞(聴く/嗅ぐ)・問(問う)・切(触れる)という、4つの観察法である。...

- 鍼仙人 - 高山 昌大
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vol.226【難経第三十一難】“一脈の病”とは何か?〜診断の単位と全体観〜
たったひとつの脈の異常。それを、どう診るか。 『難経』第三十一難は、一本の脈に病が現れたとき、それを「局所の異常」と見るべきか、それとも「全身状態の象徴」として捉えるべきか、という問いを提示する。 これは単に“脈の病変”をどう分類するかではない。...

- 鍼仙人 - 高山 昌大
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vol.225【難経第三十難】なぜ五臓六腑は五十八脈に分かれるのか?〜氣の分布と脈象解剖〜
脈は一本ではない——。 そう聞いて、驚くだろうか。 『難経』第三十難は、「五臓六腑にはそれぞれ脈があり、総じて五十八脈に分かれる」と説く。 それは単なる数の問題ではなく、 氣の分布構造そのもの を示す“解剖図”なのである。 【1. 五臓六腑と脈の関係とは?】...

- 鍼仙人 - 高山 昌大
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vol.224【難経第二十九難】脈は「どこで診るのが正解か?」〜三部九候と臨床定位〜
脈を診るとき、「どこで診ていますか?」と聞かれたら、どう答えるだろう。 橈骨動脈の寸・関・尺? それとも手首の内側全体? 『難経』第二十九難は、脈診における“部位の選択”に焦点を当てる。 それは単なる部位の話ではなく、 診断の精度と深度 に直結する“定位”の哲学である。...

- 鍼仙人 - 高山 昌大
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